日曜日, 8月 27, 2006

レイプで妊娠すると犯人を殺さずに胎児を「処刑」する矛盾

 いつも愛読しているカナダのPro-Life系のサイトLifeSite Newsに面白いオピニオン記事が載っていた。粗っぽく翻訳すると以下の通り。

 カナダやその他の「リベラルな国々」では極刑、つまり死刑を人間の生命を踏みにじる行為として廃止しており、それは良識のある多くの市民にも支持されている。これはそれ自体、非常に素晴らしいことだ。筆者も死刑には反対で、危険な犯罪者が社会に害をもたらさないように隔離しておけばいいことだと思う。

 しかし、これら死刑を廃止した、リベラルを自認する国の多くで「中絶」が広く受け入れられているのはどうしなのだろうか。さらに、中絶がそうしたリベラルな社会で合法化される口実として挙げられるのが、レイプによる妊娠などの極端なケースだ。

 だが、文明化された社会では法というものは「罪なき人びと」ではなく「犯罪者」を罰するためにあるのではなかったのか? もしそうならば、我々はなぜ「罪あるレイプ犯」ではなくその「罪なき子」を極刑に処するのか?

 我々は通常、犯罪者の子を罰したりはしない。ならばなぜレイプ犯の子を処刑するのか?

 二つ目。中絶はそれを受ける女性を傷つける。子供を産むことは女性の身体にはごく自然なことだが、中絶は違う。中絶は心理的にも感情的に精神的にも肉体的にも悲惨な結果をもたらす。

 我々はレイプの被害者の子を殺害することでさらに彼女を傷つけているだけなのではないか。

 そのような形で(つまりレイプを通じて)授かった胎児を最後まで身籠もることは、実は多くの女性にとって(彼女が受けた悲惨な体験=レイプ)を乗り越える助けになる。多くのレイプ被害者とそれによって生まれた子ども達自身がそれを証明している。

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